虚弱体質年表
西暦 | 年齢 | 年表 |
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1976年 | 0歳 | 誕生。体はどちらかと言うと丈夫な方ではなかった。身に覚えのないあざがよくできて、激しい運動は避けるように医者から言われた(血管が細くて切れちゃうみたい)。とはいえ、学校を長期間休むとかいうほどの病弱ではなかった。 |
1995年 | 18歳 | 受験勉強の末、希望の大学へ入学。授業がさっぱりわからない(受験勉強頑張りすぎて、自分のレベルに合わない大学に入ってしまったってこと?) ⇨ 3年までは進級できるので、やれる範囲で勉強しつつ、大学生活もエンジョイする |
1998年 | 21歳 | 研究室に入る単位が足りず留年(同じ必修科目を1年から3年まで3回落とす) ⇨ あと何年留年したところで、永遠にこの必修科目取れないのでは?永遠に卒業できないのでは? ⇨ うつ病発症 |
2000年 | 23歳 | 1年の留年を経て無事に研究室に入り卒業 ⇨ ITエンジニアとして就職 |
2003年 | 26歳 | うつ病再発②し、退職 数ヶ月休んだのち、再就職 |
体を鍛え始める。キックボクシング(1年弱) ⇨ 総合格闘技を始める(半年弱) | ||
2009年 | 32歳 | リーマンショックの影響で職場がシビアになったのもあり、うつ病再発③し、数ヶ月休職 (この前後で帯状疱疹2回、結膜炎3回) |
2010年 | 33歳 | ザ・シークレット(DVD)を購入して見る ⇨ アファメーション実施 フィット・フォー・ライフを読んで、スロージューサーを購入(以後不定期に、人参リンゴジュースを搾って飲む) ⇨ 上記の甲斐あって、かなりよくなって復帰するも、数ヶ月でうつ病再発④ ※ 退職者の後任として復帰。休職明けなので残業禁止にも関わらず、残業してた前任者と同じ分量をこなすことを求められ、端から無理な相談だった(会社的には休職明けの社員を雇える程余裕がなかったのかも) ⇨ 東京で働くことの限界を感じ、実家の田舎に戻って暫く休養する |
2011年 | 34歳 | 田舎の工場の期間工として働く(頭使わず無心で作業するのも悪くないなーと感じる) |
2012年 | 35歳 | 東京でITエンジニアとして仕事を再開 |
天風三部作を図書館で借りて読み始め、天風会の日曜修練会に通う(半年弱) | ||
2015年 | 38歳 | インドのオーロヴィルに滞在(1週間) お遍路(GW期間中) スペイン巡礼(カミーノ・デ・サンティアゴ:1ヶ月) |
2016年 | 39歳 | アフリカでボランティア活動する(2年間) |
2018年 | 41歳 | プログラミングを習得し、Webエンジニアとして働き始める |
2020年 | 43歳 | 便潜血が陽性で再検査の結果、大腸がんのステージ3bであることが発覚 ⇨ 腹腔鏡手術実施 ⇨ 抗がん剤治療は2クールの途中で中止 ⇨ マクロビ(玄米菜食)始める |
2022年 | 45歳 | アフリカで仕事する ⇨ 帰国 |
2023年 | 46歳 | 鼻中隔湾曲症の手術を受ける 中村天風の「心身統一法」を再度実践中(食生活も再度改善) |
幼少期
どちらかといえば体が弱かったと思うけど、入院して学校を休むほどではなかった。運動神経も良くない。体育の成績は基本2。ただ3学期はマラソン大会や縄跳び大会で好成績で5。体が弱かろうと運動神経が無かろうと、気力と努力する力はあったから、センスではなく根性が必要な大会には強かった。
挫折して虚弱体質に
大学で留年してうつ病発症したのがとても大きかった。精神的に強ければ体が弱くても何とかなっていたものの、精神までも病んでしまっては、もうこの世の中を生きていくのは難しい。この後何年にも渡って苦しむことになる。
大学中退とか転部とか他の道もあったのかも知れないけど、就職を考えたりすると、自分の性格では他の道はなく、やっぱり病むしかなかったのかなーと思う笑 死ぬほど病むような試練(カルマ)を与えて下さいと望んで生まれてきてしまったのだろう、たぶん。で、望み通り死ぬほど病んだ。
虚弱体質というと言い過ぎな気もするし、幼少からそこまで体が弱かった訳ではなかった気もする。大学留年時のうつ病発症で精神的にも弱くなり、いわゆる虚弱体質になってしまった。油断すると帯状疱疹や結膜炎になるし、うつ病も再発する。朝から疲れているから、夜にはシャワーを浴びる元気すらなくなる。
運動したり体を鍛えないとダメだよねと思い、フィットネスジムでエアロビしたりする。どうせなら何か身に付くものがいいと思いキックボクシングを始め、当時山本KIDが活躍してたのもあり、最終的にはKIDが経営するジムに通い、総合格闘技を習い始めた。激しいスポーツなのでスパーリングで歯が欠けたりし、次第に遠ざかった(健康目的からはだいぶ外れてしまった気もしたので)
牧牛(十牛図⑤)
ナチュハイ(人参リンゴジュース)とアファメーションと高麗人参エキスで、劇的に体が元気になる。慢性的に疲れていたのが嘘のように電車では疲れてないので座る必要がなく、少し充血してた目は白目くっきりになり、元気なので日中は活動的に動き、夜はぐっすり眠れて朝はスッキリ目が覚める(その年の春に花粉症は発症しなかった)。「健康的な人ってこんな感じで人生過ごしているんだ」と感動!
健康になるにはどうすればよいかを考えて実践して叶ったので(人参リンゴジュースの酵素またはベータカロテンがよかったのかな)、それで喜んでしまった(十牛図⑤の牧牛)。十牛図⑥の騎牛帰家の状態まで持っていけず、またうつ病を再発させてしまった。その後、人参リンゴジュースを飲んでももうこの時のような健康状態になることがなく、結局何がよかったのか今も試行錯誤中。
騎牛帰家(十牛図⑥)に向けて
大腸がんステージ3bになったのを機に、マクロビ(玄米菜食)を始める。
癌の三大治療は以下で、①の外科療法は実施して、③の抗がん剤は途中で辞めました。つらい割には、5年生存率が75%から77.5%と対して変わらないからです(とはいえ、昔はあまり効果なかった抗がん剤も、過去の人の犠牲より今は結構効果があるものもある模様)
①外科療法
②放射線療法
③化学療法(抗がん剤)
アフリカのボランティア活動から帰国後、埃っぽい職場(サーバのファンの埃がエアコンで職場中に舞う)だったのもあってアレルギー性鼻炎になり、鼻詰まり等々で悩まされていました。幾つかの耳鼻科に通ったのち一つの耳鼻科で鼻中隔湾曲症と診断され(確かにかなり曲がっていた)、もしかしてこれ手術したら酸素めっちゃ吸いこめて、劇的に何か改善するのかも!と期待しましたが、そんなことはありませんでした。ただ鼻詰まりとアレルギー症状は改善し、代わりに鼻水が増えた。
最近受診した耳鼻科で副鼻腔炎と診断されたので(今までは副鼻腔炎ではないと診断されていたので最近発症?)、もしこれが治療できれば結構調子良くなるのではと思っています。
中村天風の「心身統一法」と「引き寄せの法則」と「食生活の改善」で健康に近づくよう精進中。またすぐに健康になれなくても、「身に病ありとしもいえど、心まで病ませるな。運命に非なるものありとしもいえど、心まで病ますな」「晴れてよし、曇りてよし、富士の山」の精神でいれるよう精進中。
補足
ナチュハイ(人参リンゴジュース)とアファメーションは、一時的とはいえ効果があったので、よいと思っています。ただうつ病発症から4回目の再発までの10年間のうち、かなり長い期間薬を飲んでいたことになるので、肝臓がかなりやられてしまっているんだと思います(生活習慣病検診の肝臓の数値は悪く、脂肪肝だった)。なので、健康を取り戻すにはもう暫く精進が必要なのかも。