書籍紹介/感想
日露戦争後に奔馬生肺結核に罹り、この病の苦しみから解放されることを願い(身体はともかく心だけでも強靭にしたい)、2年に渡って世界中の大哲学者や心理学者を尋ねて放浪するが、有名な割にはほとんど役に立たないアドバイスしか貰えない。諦めて日本への帰る途中でヨーガの聖者カリアッパ師に出会い、求めていた答えを得、病状も回復していく。
こういう運動が良い、こういう食事が良い、と多くの医者や識者を通して今も情報が溢れていて、西洋的アプローチはピタッと当てはまる時は効果があるが、当てはまらない場合は右往左往させられるだけだったりする。そのような時は東洋的アプローチは効果的で、そのヨーガ哲学を心身統一法(観念要素の更改/積極的観念の養成/神経反射の調節)として纏め、説明している。
「自分は気(霊魂)であり、心や体は道具」「身に病があろうとも、心まで病ますまい」
肉体は自分ではなく自分の道具なんだから、体に不遇があっても自分ではなく道具なんだから悲観する必要はない。そしてその道具は磨き上げていけばいいんじゃないの?という箇所は心の奥に入りました(※ 書籍を通しての自分の解釈)
第一章:人生礼賛
心身統一法によってその内容量を増やす力
- 体力
- 胆力
- 判断力
- 断行力
- 精力
- 能力
横浜のボテフリ(波止場で船から積み出す軽い荷物をかごの中へ入れて担ぐ軽子人足)から身を立てた日比谷平左衛門の話し
インドで綿花を仕入れて、その船が上海に停留している時に船火事をおこして、綿花が全部焼けた。当時で2億円の損害だがびくともせず、三年も立たないうちに損害を全部取り戻して、5億の利益を出した。胆力や信念がある良い例。
(第一章より抜粋)
第二章:真の積極
積極的精神態度を作る
①平素の人生に生きる場合に、何事の場合でも、できるだけ自分の心を強く持つ努力をする
(第二章より抜粋)
②日常の人生に生きる際に、健康に対しても、また運命に対しても、さらにどんな些細な人事、世事に対しても、いま現在の自分の心は積極的かしらんと常に検討する
③他の人の言葉や行動の中の消極的なものに自分の心を同化せしめないこと
④取り越し苦労は断じてしない
⑤どんな時も本心良心に悖った言葉や行いはしない
⑥常に明るく朗らかに、生き生きとして何事にも応接する
絶対に消極的な言葉は使わない
・どんな場合があっても不平不満は言わない
第三章:悟入転生-天風自伝
日露戦争後に肺結核に罹り、この病の苦しみから解放されることを願い(身体はともかく心だけでも強靭にしたい)、2年に渡って世界を放浪する。
※ 肺病やみにビザはでないので密航
渡米
スウェッド・マーデン:How to get what you want(いかにすれば希望を達し得るか:著書)
モーション・モーティブ健康法
カーリントン(哲学者):「考えれば考えるほど、思えば思うほど神経が過敏になることは考えない方がいいよ。忘れちまえ」とできそうでできないことを言われる。
※ 支那の留学生の通訳(コロンビア大学)をして旅費を貯めた(医学博士の学位を取ってあげた)渡英
H・アデントン・ブリュース(大学者)渡仏
リンドラー(心理学者):鏡を用いる自己暗示法を教わる渡独
(第三章より抜粋)
ドリュース博士(大哲学者):「心というものは人間の自由にはならないものだ」と断言される
世界一の哲学者のドリュース博士がそう言うなら駄目なのだろうと諦め、1911年に日本への帰路に旅立つ。
マルセイユからペナン(マレーシア)行きの途中で、イタリアの砲艦の座礁でスエズ運河が通れなくなり、5日間エジプトのアレクサンドリアに停泊。ここでヨーガの大哲学者カリアッパ師に会う。インスピレーションで右の胸に病があると言われる(シッキム王国のバラモン教ヨーガのグルなので、気(オーラ)みたいのでわかったのでは?と思われる)
「まだお前は死ぬ運命じゃない。まだお前は救われる道を知らないでいるから俺と一緒においで」と言われ、ヒマラヤの山の中へ着いていく。
どういうわけで心を自分で自由にできないのか
①潜在意識の中に消極的な観念要素がうーんと溜まってしまった
②神経系等の生活機能の勢いが衰えてしまった
③自分の心を制御せず、ただ感情の興奮するに任せて生きてきてしまった心を自分でコントロールするには
- 観念要素の更改(潜在意識の消極的な観念要素を積極観念要素に取り替える)
- 積極的観念の養成(積極的観念を養成する)
- 神経反射の調節(神経系等の生活機能の勢いを元に戻す)
ヨーガ哲学
「身に病ありとしもいえど、心まで病ませるな。運命に非なるものありとしもいえど、心まで病ますな」心の態度が積極的ならば神経系等も積極的になるが、心の態度が消極的ならば神経系等の生活機能も消極的になる。
第四章:恬淡明朗
観念要素の更改(潜在意識の更改)
潜在意識に消極的な観念要素が溜まっているので、神経が過敏になってしまっている。夜の寝際が大事で、楽しいことを考えながら心を綺麗に洗い流して眠る。
⇨ 寝る前のアファメーションが効果的(潜在意識に働きかけやすい)
普段の言葉づかいや考え方も大事(言霊)
カリアッパ師との問答
「毎朝、俺はお前に、今日はどうだい(How do you do today)と聞くと、必ずお前はあまりよくありません(I’m not quite well)と言うな。それを言う時楽しいかい?」
(第四章より抜粋)
「いや、楽しくはありませんけども、真実こういう病を持っておりますから、朝目が覚めましても心良い気持ちでは目が覚めません。やっぱり何となく、こう、熱があるように、体の全体が何となく気だるくて、頭は重いし、つまり快適な気分を感じません」
「そういうことを言って気持ちいいかい?」
:
「痛い時に痛いと言うのがいけないというんじゃないんだ。痛い時、痛い、痒い時、痒いと言うのは、それは当たり前のことだから言っていい。ただ、そう言った時に、それから後を自分が考えなきゃいい。・・・これがもとで死にゃしないかとか、もっと悪くなるんじゃないかしらんという風に、現実よりもさらに上を越した神経を使いやしないか。それがいけないんだ」
第五章:より強く、逞しく
日露戦争時代の松花江の鉄橋破壊の時など、命知らずのヤクザでもいざ土壇場へ出ると火もつけられないが、私は必ず火を付けられて、俺ぐらい心の強いやつはたんといなかろうと自惚れていた。病にかかってから、なんとあんなに強かったはずの私が、今度は女の腐ったのよりも生地がない自分自身で思うように、気が弱くなっちゃったんです。脈が気になる、熱が気になる、咳が気になる、痰が気になる。
恐ろしいのは心の感じた「再反射作用」
インドで、ラジャとカルマ・ヨーガを学びながら、「クンバハカ」という密法を悟る。
(第五章より抜粋)
神経反射の調節(クンバハカ)
感覚なり感情なりの衝動、ショックを受けたら、急いで体の三箇所(肛門とお腹と肩)を特別な持ち方をする。
(第五章より抜粋)
①腹が立つこと、心配なこと、恐ろしいこと、何かにつけて感情、感覚の刺激衝動を心に感じたら、すぐ肛門を締める
②お腹に力を込めると同時に、肩を落とす
⇨ この三箇所がそうした状態にされた時に初めて感情や感覚の刺激衝動が、心には感じても神経系統に影響を与えないという、いわゆる影響を減ずる効果がある
鏡を用いる自己暗示法
毎晩寝がけに鏡に映る顔を見て、「お前は信念が強くなる」と言い、翌朝目が覚めたら、「今日は俺は信念が強いぞ」と言う。
※ 鏡に向かって暗示を与える時には、自己暗示を妨げるコンプレックスは生じないとのこと
第六章:もはや何ものも恐れず
我とは何ぞや
⇨ 気(霊魂)、心や体は道具
⇨ これが自覚できてから、心身統一法を会得するのがベストだけど(ついてこれなくなるから)順序を入れ替えたとのこと「学んでいよいよ苦しみ、極めていよいよ迷う」 by 孔子
⇨ 精神至上主義になると苦しんだり迷う「ありのままに我れある世とし生きゆかば、悔いもおそれも何事もなし」
(第六章より抜粋)
⇨ 霊魂のまんまの人生に生きていく時、そこに何にも悔いもおそれも、いささかも心を動かすものがない
⇨ インドのヨーガからきた禅が無我一念、純一無雑の境界に自分の魂を安住せしめる為に坐禅を組むのもそれが目的
⇨ 安定打坐法(天風式坐禅法)
第七章:新天地を切り拓く
人間は進化向上という尊い使命を果たすべくこの世にきたのだ、知る知らざるとを問わず。
肉体(本能心)に使われているか、理性(理性心)に使われているので煩悶する
⇨ 霊魂からでる意思力を出して、本能心と理性心を制御する積極観念の養成
- 内省検討(現在自分の思っていることや考えていることが果たして積極か消極かを判断する)
- 暗示の分析
- 交人態度
- 苦労厳禁
心を積極化するのにとても役に立つ心掛け
(第七章より抜粋)
全ての心的現象を、あとうかぎり客観的に思うこと
⇨ 自分の腹が痛いのを、隣のおばさんの腹が痛いように感じなさい(病は忘れることによって治る)
⇨ こういう心掛けを実行すると、自分の生命の道具である心や肉体と、本当の自分(霊魂)とを混ぜこぜにしなくなる
⇨ 心を積極的に完全に生きられるようになる(痛みや病の回復が早い)
第八章:幸福の醍醐味
かえって心があるばっかりに、犬や猿や豚もしないような煩悶や悲観や失望をしなければならない。人間が心を使う時、気が散っていることぐらいいけないことはないんであります。
(第八章より抜粋)
柳生但馬守と沢庵禅師の問答
「一本の剣はあしらうのにさほど困難を感じませんが、五本、六本といちどきに出た時はどういたしましょう?」
(第八章より抜粋)
「五本が十本であろうと、一本としてお扱いなさい」
無意注意:犬でも猫でも持っている注意力
有意注意:特定したものに粘り強い注意を振り向ける注意力(気を散らさないで、はっきりした気持ちで物事をやる癖をつけなければいけない)
第九章:大いなる我が生命の力
健康を悪くするのも運命を悪くするのも、結局、もとは自分にあるんだぜ。天に向かって唾したのが面に帰ってきたんだよ。出世や成功をし、あるいは非常な健康になり幸運に生きている人は、その心の内容が極めて積極的ですよ。
(第九章より抜粋)
第十章:成功の実現
想像力を応用して、心に念願する事柄をはっきり映像化することによって、絶えざる気持ちでぐんぐん燃やしていると、信念がひとりでに確固不抜なものになる。
インドの山の中で豹に出会った時、もう病の苦しさも、死にゃあしないかという気持ちも何にも無くなっちゃった。恐ろしい気持ちも無いんだよ。ただ、その爛々として光る豹の目をウッと見据えてたら、スウーッと向こうへ行っちまいやがった。無念無双にうたれたんだな、向こうが。おっかないと思ったら、バッと来るだろうけども。
もうどうにもしようがない時に、絶対の諦めがくるとそういう気持ちになることがありますよ。何にも考えない、ただ無我夢中。心のいわゆる乱雑なる妄想が瞬間、止まった時なんだ。
カリアッパ師の言葉
(第十章より抜粋)
「そんな気持ちでしょっちゅういたら、病なんか、どっかへ吹っ飛んでいっちまうわい。いつも猛獣と相対峙してたような、無邪気な気持ちになれ」
「まあ、いいことだけ絶え間なく絵に描けよ、心に」
※ Youtubeで要約してくれた方がいるようです。